地球とは、そこにいる全ての生物たちによって持続維持されているのです

我々人類は、自然の摂理の中で幸せを求めなければならない

 

スループット

 私たちは地球という閉鎖されたシステムの上で暮らしています

外から入ってくるものは太陽のエネルギーのみ、出て行くものは放射熱のみ

それ以上は地球上の物質が形を変えて循環しているのに過ぎないのです

我々は経済活動としてあらゆる資源を取り出し加工したり消費したりし、または別の形に変えて地球に戻しています

石油を取り出し二酸化炭素として戻すなどがそれで、これをスループットといいます

スループットとは処理能力のことですが、先に述べたように地球のスループットは確実に限界を上回ってしまっているのです  

定常経済とは生産性を地球の包容力に合わせた上で、スループットを一定に持続する経済のあり方のことを言うのです

 

「成長こそが全て」という大きな過ち

 

人類は資本主義思想により「成長または物質的な富の拡大」を目標や価値としてきました

経済が成長する事により全ての問題を解決する、といった発想が一般的でしたが

もはやその思想は機能しなくなり、それに代わる新たな目標や価値を見出さなければならないのです

 

 

永遠に「成長や拡大する」と言ったことはもはや現実的では無いのです

地球上でそれを求めるということはもはや限界を超え、精度や価値が機能しなくなるということなのです

今までは限られた先進国だけが成長する事によって全てを解決してきました

しかし、中国やインド、ブラジルなどの人口大国が先進国の仲間入りをする事になると

もはやこの地球上に成長する余裕などないのです

 

 

 

資本主義社会は終焉を迎える

*資本主義の成功者の定義は、基本的に資本家になる事

*資本主義は所有者が強い経済システムである

*「経済成長こそ全ての問題を解決する」とは、「永遠に成長し続けなければ幸せにはなれない」という事である

*成長を全ての基本とする考えには、必ず生産があり消費がありその先には廃棄がある

*資本主義は、所得・収入・資産の格差が広がっていくシステムである

*人口の増加による資源の消費速度は、地球が資源を作り出す速度のそれ以上の速さで消費し廃棄している

*化学/科学の成長は基本的に自然界に順応しない為、環境には順応しない

*人口の増加に伴う資源の大量消費・大量廃棄、環境に順応しない生産物とその廃棄によって廃棄は進行する

*地球環境に即した資源物や生命体は日を追う毎に消化しているのが現実である

*海に排出されたゴミの量は2030年には全ての魚の量を上回り昆虫類の絶滅種は非常に増えている

*自然の摂理に準じないものの生産や消費は直ちにやめなければならない

*経済の成長速度を自然の循環速度を超えない状態に直ちに戻す必要があるのだ

 

 

地球の包容力は限界を当に超えている

*全ての環境問題はすでに地球環境の処理能力とキャパシティーを大きく超えてしまっている

*「アース・オーバーシュート・デー」それは資源消費量が1年間に地球が生成できる資原料を超える日

*1970年は12月23日、80年は11月3日、90年は10月13日、2000年には10月4日

*地球はいっぱい以上の状態であり、それは単純に地球が1.7個必要とするキャパシティーである

*世界中の人々が日本人と同じ暮らしを始めたら、地球は2.8個必要である

*世界中の人々が米国人のような暮らしを始めたら、地球は5個必要となる

*日本人は現在の経済活動のスケールを2分の1以下に戻す事が求められるのだ

*「成長する」と「循環する」ではどちらが持続可能でしょうか

*限界便益より限界費用が大きくなった時点で「不経済成長」となり「定常経済」に移行するべきなのです

 

 

 

経済成長することが全てでは無い事を知るべきだ

心豊かな安心な暮らしをるするには経済を成長させることが全てである、と考えられてきました

しかし、この100年で地球の持つキャパシティーを遥かに超え、貧困や失業、環境問題など悪影響がどんどん溢れ出しています

成長する事で全ての問題を解決するといった考えは、満杯になってしまった世界ではもう通用しない事なのです

満杯になっても尚且つ「経済成長」を進めることを「不経済成長」と言うのです

貧困や失業、環境問題などを解決するには、自然と調和した暮らしを送らなければならないと言う事になるのです

「自然と調和する」「自然と順応する」には、それに向けた世界観を持つことが必要なのです

「定常経済」と言う考え方 それは、一定の水準を維持し、それ以上でもそれ以下でも無い状態のこと

今の経済状態を続けるには地球が1.7個必要になるのです

すなわち我々の活動を支えるエコロジカルフットプリントは地球1個では足りないと言うことなのです

要するに今の状態で経済成長を止めたとしても、持続可能では無いと言う事になるのです

先進国は特に経済成長から脱し、持続可能な水準まで規模を縮小する必要があります

そして持続する上で必要となる「資源」自然と順応する上では「再生可能な資源」と再生不可能な資源」に分けられます

再生可能とは循環を持続する事に反しないと言う事です

反したものをいくら再生しても循環を維持する事にはつながらないのです

 

このまま成長を続けて、地球という限られた世界を取り合うか、定常経済の元に持続可能な世界を切り開くか

 

 

 

 

 

 

不成長経済から定常経済へ

これ以上の成長する経済を求めることは、不成長経済となることは目に見えているのです

*「一定の人口と一定の人工物のストックを可能な限り低いレベルでのスループットで維持する事」が定常経済です

*「成長しない社会」「成長しない経済」が地球が支えられる包容力の範囲内での持続可能な社会なのです

*地球の資源を生み出す速度と経済を支える消費速度は同等かそれ以下でなければ持続可能になりません

*自然環境こそが最も持続可能な完成された永久機関なのです

*永久機関には廃棄ではなく循環という概念で全てが大地に還元され資源を生み出す元とならなければならないのです

*地球が作り出した物質・生命体のすべてに不要なものはないのです

定常社会

地球の資源が限られていることは多くの人々が気づいているはずです

経済成長を続けることは限られた資源の取り合いをすると言うことなのです

過去に行われてきた戦争は宗教による価値観の違いや資源の奪い合いによるものが殆どでした

今現在も資源を必要とした領土の奪い合いが起ころうとしています

挙げ句の果てには地球だけでは物足りなくなり、火星に移住するといった計画までに発展しています

果たして本当に成長することだけが幸せを掴む方法なのでしょうか?

GDPは必ず伸びていかなければならないのでしょうか?

 

定常社会を実現すると言うことは、人と人との交流が大事です

経済活動とはお金によるものではなく、人間同士の営みのことです

人間関係が良くなる方向に向かえば、貨幣の流通量は下がる事になりGDPも下がります

人口が減りテクノロジーが発達するとC to Cが発達し中間流通が減るのでGDPは下がります

街に対する満足度や愛着心は、人間関係の良し悪しに左右するのです

各地域がそこでの自然資源を持続できる形で循環利用し、自分の足で立てる経済の自立の割合を増やし、

バランスをとった上で他の地域と相互依存すると言うことがあるべき経済の姿だと思います

ローカルからの経済アプローチにより定常経済に近づけば、地域社会の持続性に影響を与える事ができるのです

世界の方向性:持続可能社会

 

 

自立分散(非支配)で繋がりあう循環経済 →  持続可能な社会

自立分散と言う「形」   循環している「流れ」   もの同士が繋がっていると言う「状態」

による結果によって持続可能が生まれる

立分散の反対は中央集権(ヒエラルキー)    循環の反対は搾取     繋がりの反対は分断

 

パーマカルチャーとは

人と自然が共存する社会を作る為のデザイン手法

パーマネント(永続性)農業(アグリカルチャー)文化(カルチャー)を組み合わせた造語

3つの倫理

地球への配慮(Care of the earth)

人は地球の存在無しに繁栄できないと言うことを理解し、地球環境に配慮する

 

人々への配慮(Care of the people)

人が生きていく為、必要な資源を共有していく

 

余剰物の共有(Fare share)

他社から奪うことなく、分かち合い与え合う

 

12の原則

1. 観察と相互作用  (Observation and interaction)

2. エネルギーの獲得と貯蓄  (Catch store energy)

3. 収穫  (Obtain a yield)

4. 自立とフィードバックの活用  (Apply self-regulation accept feedback)

5. 再生可能な資源やサービスの活用と尊重  (Use value renewable resources services)

6. ゴミと無駄を出さない  (Produce no waste)

7. 全体からディティールのデザイン  (Design from patterns to details)

8. 分離より統合  (Intgrate rather than segregate)

9. ゆっくり小さな解決を目指す  (Use small slow solutions)

10. 多様性の活用と尊重  (Use valve diversity)

11. 接点の活用と辺境の尊重  (Use edges value the marginal)

12. 変化に対して創造的な活用と対応  (Creatine use respond to change)

 


永続性(持続可能性)を作り出すためのデザイン体系

デザインする事によって対象となる環境(空間知るテム)に永続性(持続可能性)を作り出していく

 

持続可能性

 世界科学フォーラム2019宣言の第一の柱として「Science for Global Well-Being(世界の幸福に貢献する科学)」が掲げられました

これにはどのような思いが込められているのか

この言葉は、人類社会が体験してきた近代の歴史への反省から生まれた言葉なのです

 

18世紀の産業革命以降、科学技術は急速に進歩し、私たちの生活や社会は一変しました その結果、世界の人口は爆発的に増え、医療の進歩、食糧生産力の向上、さまざまな産業やエネルギーの開発により快適な生活がもたらされ、寿命が伸びて人口爆発が起きたのです しかし、その結果科学技術の進歩はさまざまな課題をもたらしました 科学技術が人類の発展や生活向上に貢献した反面、環境破壊はすざましい勢いで進み、21世紀は人類社会の存続が問われる時代となったのです 人類の進歩に多大な貢献をしてきた化学(科学)技術ではあるが、環境への悪影響は見過ごす訳にはいきません その為起こしてしまったツケをこれからは返していかなければならないのです

それには安全と言われる化学(科学)だけを使うと言うことが条件なのです


 

オーガニックについて考えてみる

 この言葉に関心を持つ人は多いと思う。

有機栽培・有機農業など、化学農薬や化学肥料を使わない、保存料や着色料などの添加物を使わない、

 化学染料や化学塗料も使わない、などを一般的には言う。

 オーガニックなものは身体に良いね、と思っている人は大勢いることだろう。

 元々の我々の暮らしは全てがオーガニックだったはずである。

だから身体には良いに決まっている。

誰もがそれはわかっていることなのだ。

 

しかし、

 

今となっては本当のオーガニックなんて殆ど存在しなくなってしまった。

ある時人類は、自然と共存・共栄することよりも、経済の発展を望んだわけだ。

 経済発展のための不自然な ”物” が作られ、金儲けのために ”不自然な物の質” がどんどんと変えられていく世の中である、

 この社会システムから抜けださない限り本当のオーガニックな暮らしにはたどり着けないのである。

 

 

 今の我々の暮らしは、地球環境という実態が我々の頭の中にある虚像経済によって回されている様なもの。

私たちの暮らし全てを虚像経済に頼るという事は、経済は私たちの身体の中の仮想の心臓のようなものであろう。

心拍数を上げて血圧を高くし末端まで血液を送ることにより、やっとの事で酸素の供給が出来ている。

酸素はお金と同じで、末端までお金を行き渡らせることにより始めて経済は成長する。

お金が行き渡らなくなるとたちまち末端から壊死が始まり、病気を引き起こしてしまうのだ。

 

私たちは化学農薬や化学肥料などを大量に使って作られた米や野菜を毎日食べている。

牛や豚、鶏などの家畜、魚などの養殖はホルモン剤や抗生物質たっぷりの化学飼料で育てられたものを毎日食べ、

300種類もの何故か認可された添加物を使った惣菜や菓子を毎日食べている。

(アメリカの認可は180種、ヨーロッパは100以下)何故か?

 

全ては経済を成長させる為、

安くて美味しく感じるものがいつでもすぐに手に入ることで、我々の暮らしが豊かになったと錯覚し、

価格の高いものや見栄えの悪いものは売れなくなる、それは本質を見ずに個人の好みだけで選んでいるからである。

 

化学繊維に化学染料で染めた静電気や経皮毒たっぷりの洋服を着続ける事、

化学塗料や新建材に囲われた部屋の中で毎日寝起きをし、電磁波ノイズの蔓延した中で呼吸をする。

 

これが、私たちの暮らしを利用して経済を持続させるために作り上げてきた成長手段なのである。

 

 

これは身体中を巡る血液や血管の質を低下させているのだ。

このまま持続させるには心拍数を落とさない事になる。当然血圧は上がる一方である。

そうしないと末端への酸素(お金)の供給ができないのだ。

こうなると血管の弱いところに動脈瘤が出来、それが破裂する事は安易に想像ができる事だ。

 

果たしてこの状態を健康的と言えるのだろうか?

 

戦後、高度成長期に入るとアレルギーや喘息、アトピー疾患が増え始め、知らない間に二人に一人が癌になるという始末!

飽食による肥満で高血圧や糖尿病などの生活習慣病も激増の一方を辿る。

なぜなのか? 

答えはいたって簡単な事、それらを引き起こす原因となる「事」が衣・食・住の生活習慣に根付いてしまっているからである。

食べるものや着るものなど生活の基本となるものの「質」を良く見極める事だ。

 

国は国全体のGDPを持続させるために経済を回すことを第一優先に考えるのだ。

よって国民の所得に合わせた生活品質水準が作られていくわけだ。

近年は大型スーパーなどが暮らしの品質水準となりつつあり、その水準に合わせた暮らしが営まれていくということとなるのだ。

 

 

あなたの暮らしに問題はないだろうか?

 

 今、国が真っ先に考えなければならない事は、「経済問題」ではなく「環境問題」なのである!

 

果たして経済の成長が止まると我々は暮らしを送ることができなくなるのだろうか。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

今となっては ”オーガニック”  に拘り過ぎても意味がない!

 

 

オーガニックは素晴らしい! オーガニックがいいに決まってる!

と思っている人たちは数多くいるだろう、オーガニックのものしか購入しない、なんて方も最近では増えてきている。

野菜でも家畜でも生産者の顔写真入りで、心を込めて生産したことを表示する生産過程の可視化(トレサビリティー )Traceabilityである。

衣類はオーガニックコットンやオーガニックリネンなどはかなり出回っていると思われる。

ある意味、世の中はオーガニックブームなのである。

悪いことではないがブームでは意味がない。ブームとはスタイルである。ファッションである。要するに一時的ということである。

本質を捉えなければ何の意味もないのだ。

皆さんは何を持ってそのものをオーガニックと認識しているのだろうか?

 

地球上の全人口はもうすぐ80億人に達する見込みである。日本は人口減少の方向であるが諸外国は増える一方である。

地球の危機問題の中で食糧危機は最初に挙げられる重大な問題であり80億人全員が毎日満足な食事が取れてはいないのだ。

9人に1人が満足な食事も着るものも手に取れないのが現状であり、もっと不足していくことは目に見えているのだ。

オーガニックとはゆっくりとした時間と広い大地が必要である。全人口が十分なオーガニック生活を送ることは物理的にも不可能である。

人口を減らすか、物資を極端に大量生産する事しかないのだ。

遺伝子組み換えやゲノム編集は、聞いたことがあるだろう。

大豆やトウモロコシなどたくさんの農作物や魚や牛、豚、鶏などの養殖に応用されだしている技術だが、

まだ未確認のことが多く残されているため、完全な実用化にはいたっていない様だ。

この技術を利用すると通常の自然農法の何倍、何十倍も生産性を上げることができる技術であり、

これによって多くの人々に物資が行き渡ると考えても良いであろう。

 

 

加工が簡単に行える羽根のない鶏、異常に筋肉のついた牛、通常よりも巨大化したサケ、遺伝子組み換えによるものだ

 

化学添加物というものがある。

保存料、甘味料、着色料、香料など、味覚、視覚、嗅覚など五感に当たる部分を添加物により作り出し、保存が利くものが目的である。

人口増加と環境破壊により本物では賄いきれなくなり、代わりに添加物を使うことによって〜風と言ったものが沢山販売される。

同じような味、同じような色を再現して安く大量に安定した生産ができる、保存が利くので多くの人々に行き渡るのだ。

〜風と言ったものは昔から存在する。がんもどきは豆腐を使った鴨に似せたもの、ちくわぶはちくわに似せた小麦粉の練ったもの、などがある。

今では本物に似せた安価な加工食品にはほとんどの物に食品添加物がふんだんに使われているが、

昔は高価で手の出にくかったものも安価になることで毎日手に、口にすることができる様になり、

皆んなが幸せになる事は確かに素晴らしい事だと思うのである。

しかし、先に述べたが、現実には多くの健康上の問題や環境上の問題が起こっていると言った現実があるのだ。

これは何が原因でこうなった、とは言い切れない、実際には長い年月を経てみないとわからない事ではあるのだ。

一つの商品をとってみて直ちに問題は無い、と言う見解であるが、続ける事によるリスクを考えればいつかは問題になる、ということだ。

それは子供の頃から取り続けて蓄積されたものが晩年になって色々なところに不具合が出る、と言うことではないだろうか。

母親の身体に蓄積され、その子供に影響が出ることも良く聞くことだ。

 

そして、もっと怖いこと。

それは「種子」である。

日本には1952年5月に制定された「種子法」という法律がある。

これは戦中から戦後にかけて食糧難の時代を経験した日本が、「食料を確保するためには種子が大事」と、

主権を取り戻すのとほぼ同時に取り組んだもので、米、麦、大豆の種子を国が守るという政策であった。

しかし、農林水産省は主要農作物種子を「廃止する」法案を国会に提出し3月23日に衆議院農林水産委員会が可決したのだ。

これにより米、麦、大豆などの種子は外資系企業の参入により支配される懸念が出てきたのである。

日本古来の原種や原原種の優良品種が消えてしまう可能性が出てきたわけだ。

そして最も怖い事は、モンサント法の成立である。

 

*種子法廃止後、種子は育成者権保護を強化した種苗法で管理し、

登録品種を「種子として販売・無償配布しない」という契約書にサインを求められる

*農業競争力強化支援法により、公的な種苗の生産に関する知見が民間事業者に提供される

*特定企業が過去に日本政府や地方自治体が蓄積した遺伝子を活用し、開発した新品種の「特許」が認められ、

本来、公共財であった種の遺伝子の権利が特定企業に移行する

*低廉な種子を供給できた制度が廃止され、種子価格が高騰する可能性が高い

*日本国内で開発された種が外国の農場に持ち込まれ、農作物が生産される

安価な日本原産の農作物が日本に輸入される

*国内の種子の多様性が奪われ、遺伝子クライシスの恐れが発生

*モンサントなどの遺伝子組換え作物の種子が広まり、日本固有の種子遺伝子が全滅する

 

我が国は、いずれ新嘗祭をモンサント等の遺伝子組み換えも稲で執り行う事になる

種の多様性が失われ、価格が上がる事で食料安全保障は崩壊する

 

これは私たち国民の意思をしっかりと示さなければならない

 

私たちの身体は、食べたもので作られてい流のだ。

このことをしっかりと理解しなければならない

 

そして私たちの身体は、良いもの、悪いもの全てのものを経皮吸収もするのだ。

 

しかしそは言っても、今の生活環境の中で身の回りのものを徹底してオーガニックのものにする事は実際のところ不可能と言っていいだろう。

本当のオーガニックな暮らしを実現するにはそれこそ「ポツンと一軒家」の様に人里離れた山の中、または離島で暮らすことになるのだ。

 

最近ではサスティナブルが良く使われるようになった。

持続可能な発展という意味だが、あくまでも我々の立ち位置は変えずに発展することだけを言ってるのではないだろうか。

「今までと変わらずに経済を持続したい」、また「それを発展し続けたい」

それでは地球環境は持続はしないということがわかっているのだろうか。

持続可能な発展を続けていきたいのであれば、まず先に環境問題を解決することなのだ。

 

今までと変わらない暮らしを取り戻すことか、地球環境持続性を取り戻すことか

人里離れて自給自足のオーガニックな生活に徹しようとしても、どちらも持続することは難しいのである。

 

あなたならどうする?

 

世の中のより多くの人々が、本当に安心して幸せを感じることのできる暮らし。

 

それはこの地球の原点に立って自然と調和しないと見えてこないのだ。

 

人類は今まで何百年とかけて作り上げてきた経済という虚像を持続さることばかりを考えているようだ。

 

経済とは人間の頭の中で作り上げられた虚像である、実態のある環境の中で作られたもの。

 

環境の持続性を一番に考える事がもっとも大事なのである。

 

全体を観れば当然のことであって、そして足元を観なければならないのです。

 

政治が今第一に考えなくてはならない事は「環境問題」なのです。

 

次々に起こる問題を解決し、環境との接点が見えてこそ経済を組み立てる事が出来るのです。

 

そもそもエコロジーという表現をする事自体が環境と接点を持てていないということを表しているのだ。

 

 

 

例えば、コロナ渦でまずは感染拡大を止める事が何よりも1番に重要なはず。

 

しかし経済との両立を優先するが為徹底した封じ込め対策が出来ず、、もしくは人命よりも経済を優先する事が重要との判断か?

 

医療崩壊の危機問題についても、結局は経済に大きく影響を与えるからなのでしょう。

 

 

 

もし通貨というものが世の中からなくなったら、と考えてみた。

 

色々な「事」に直面した時にどの様に解決するのか?

 

今まで経済の発展によって成長してきたテクノロジーの利用はできません。

 

化石燃料によるプラスチック製品は存在しなくなります。

 

環境を食い物にしてきた大量生産、大量販売とそれに伴う大量廃棄といった考えもなくなります。

 

それを利用した投資という発想も成り立たなくなります。

 

本来は我慢しなければならないことは沢山あるが、それを無くしていく事で経済は成長してきた。

 

自然ということは我慢が必要である。

 

この100年、経済によって我慢することが取り払われ、それによって環境破壊が起こっているとしたら

 

国として第一に考える事は決まっているはずです。

 

それが解決できて始めてその先に持続可能な未来が見えてくるのだ。

 

そこで始めて人間・社会・地球環境の持続可能な発展を考える事が出来るようになる。

 

この地球上でそんな日常の暮らしが出来る様になるために

 

原点からみた「暮らし」のあり方を考えなければならない。